往時雑感
“ほんの紹介”
『脱病院化社会』 著者 イヴァン・イリッチ 晶文社 刊
「医療機構そのものが健康に対する主要な脅威になりつつある。専門家が医療をコントロールすることの破壊的影響は、いまや流行病の規模にまでいたっている。」
「脱病院化社会」という奇妙な題名の本書は、現代医療に対する警告の書であると共に、この強大化した医療機構に大いなる幻想を抱き、これを支えている「医療消費者」である我々自身への警告の書でもあるのだ。
医学の進歩は、科学技術の進歩と並び称され、文明社会の誇りともされている。しかし、進歩の反面では、膨大な医療費や、成人病(生活習慣病)の増加が社会問題となり、医学の無力さが囁かれたりする。そこに医学の進歩とは何であり、医療が健康ケアに果たす役割はどういうことなのか、という問題を改めて問いなおさざるをえなくなる。
「過去三世代の間、西欧社会を悩ましてきた諸疾患は劇的に変化した。ポリオ、ジフテリア、結核は亡びつつあり、抗生物質の注射で肺炎も梅毒もなおる。一世紀の間に大量に病死者を生む多くの細菌がコントロールされるようになり、現在の死者の三分の二は老年と関係がある。」しかし、「実際には疾病の変化と医学の進歩との間には直接の関係は存在しないのだ。」「コレラ、赤痢、チフスなども同様に、医師のコントロールと無関係に頂点にいたり、ついで勢いを減じてきた。それらの疾病は、その病原が理解され、特定の療法が発見される以前に、その毒性をついで社会的影響の多くを失ってしまっていた。」
「これらの事実は、一つには微生物の毒性の減退あるいは住宅の改善などによっても説明されようが、最も重要な要因は、栄養が改善されたために宿主(人間)の抵抗力が高まったためと考えられる。」
「一世紀以上の間の疾病傾向を分析してわかることは、環境こそが一般的な健康状態を決定する第一義のものであるということ。また一般には成人は何歳で死亡するかを決定するのに、食料と水と空気が重要な役割を果たしている。」というのである。
では、現代医療の「神秘のベール」は完全に剥がされているのであろうか。そこでいくつかの疑問が出てくる。
何故、現代医療が健康ケアの旗手として成長し発展してこれたのか。又、医療に対する「大いなる幻想」はどのようにして生み出されたのか。そもそも、医療とは、誰のための、何のための医療であるのか。こうした疑問を、本書はどのように答えているのであろうか。(S)
── 編集後記 ──
▶ 日一日と、秋の気配が深まってきました。そこここに落ち葉の吹き溜まりが見られ、見上ぐれば、次第に色づく紅葉が、私たちの心を洗い清めてくれます。冬支度に忙しい鳥たちの忙しげな鳴き声にも、その季節の訪れを感じさせます。
▶︎ 日本の文化の特色は春にではなく、秋にある、と言われます。春が朝日であれば、秋は夕日。燃え尽きる心というより余韻を味わう心、微妙に揺れ動く変化の中に、日本人の心の故郷が生み出されてきたのでしょうか。
▶︎ 文化・カルチャー。心を耕すという意味です。いつの日にも変わらず、私たちの心を耕しつづけたいものです。(S)
第4号 1983年11月5日