往時雑感
“ほんの紹介”(二)
『ガンジーの健康論』 著者 M・Kガンジー 編集工房ノア 刊
健康とは、自分自身をとり戻すこと―イギリスの植民地支配下にあった、インドの独立運動に、生涯を捧げたガンジーのおもいとはこんなものだったかもしれません。
「健康というものが、なぜそんなに大切で、そして必死で求めねばならないものなのでしょうか。… 健康の目的が贅沢、快楽にふけり、肉体を自慢し、健康それ自体を目的とするというならば、悪血や、脂で汚れた肉体でいる方がはるかにましというものでしょう」という点にも、その思いはよく示されています。
インドの伝統的医学(アーユルヴェーダ)を愛しつつ、批判し、西洋医学を批判しつつ、科学的精神に学ぶことを主張したのも同様です。
「ヨーロッパ医学を学ぶことは、われわれの奴隷性を助長することにもなりかねません」と、永い植民地支配の中で培われたものに警鐘し、インド人民の自立を願う気持ちが、彼の医療・健康論を支えたと思われます。
── 治すべきものは、病気の原因
「医療がなければ、病気は治らないものだという致命的な妄想にとりつかれて苦労しています。… 勿論病気になれば治療しなくてはなりません。しかし医学が治すものではないのです。」そして、ロシアの作家チェーホフから、おもしろい引用をあげています。
「ええ、私は医学には反対ですわ。それは、自然現象としての病気の研究には必要だけど、病気を治すのに必要なものではないでしょう。治療しなくてはならないのは病気ではなくて、その原因ですよ」
── 魂を無視した医療
「私は病気を治す科学があるとは思っていません。科学とか芸術が真正なものであれば、刹那的で個人的なものを目的とはせずに、永遠性のある宇宙的なものを目ざすものです。そして生命の意味と、真実を追求するのです。」「科学者、作家、芸術家の仕事は困難です。彼等のおかげで、日に日に生活は 便利になってきます。私達の物質的欲求は大きくなりますが、真理には遠く、人間は依然としてどん欲で汚い動物のままなのです。何もかもが、大衆の退廃のままになり、生命に対する適合性を失っていきます。」(チェーホフの引用)
「魂を無視した医療は人間を翻弄して、その尊厳や自制力を衰退させているのです。」
その時代に生きたガンジーの嘆きは二一世紀を目前にしている現代人という立場からとらえ返さねばなりません。健康の問題は、現代を生きる人間の生き方をさぐるという視点があって、意義深いものになるのではないでしょうか。(S)
── 編集後記 ──
▶︎ スイマグはご活用の皆様のおかげで、今日まで製造を続けて来られました。
製造できることで、職員も助けられ、又清水に居ながらにして、皆様とめぐりあうことが出来ました。
新春に、皆様の尚一層のご活躍を期待申し上げます。(社員一同)
▶︎ 暖かいと言われる清水にも、今年は雪が降りました。三方を山に囲まれた清水。その山々が雪化粧し、子供たちが山へ行きたい、雪を見たいとせがみます。
▶︎ 時を封じ込めてしまうかのような銀世界。スピード化し、ただただ慌ただしい現代文明社会の中では、そのひとときは別世界のように思われます。
▶︎ 雪国の生活の知恵を怠れば、相応する自然からのツケが回ってきます。文明の利器がいかにもろいものか。心身といわず、生活の万般にまで文化の再点検が必要ではないでしょうか。(S)
第5号 1984年1月25日