排泄は予防の元(はじめ)
今、健康問題を考える(五)
── わかっているようで、わかっていない
「生命への畏敬の念」とか「人間性の尊重」ということを私達は口にしますが、はたして《人間》について、どこまで理解しているかとなると、私自身ははなはだ自信がないのです。
健康問題を考えるということは、「人間について」考えることだとしている私にとって「《人間》とは何か」を考えることは、実に重要なことなのです。
── 一回しかない《生》
さてここで私は、どうしても次なる詩人の考えを紹介しなければなりません。
彼には小児マヒの障害があります。障害をもっている人ほど、本当の意味の《人間》について考えられるのだと私は思っているのです。
僕たちにとって必要なのは、人間とは《私》であると言う、僕たちの生存の自覚である。
障害者は、けっして特別な望みを抱いているわけではない。人間である限り、誰もが抱く、人間として社会的に生き易く生きたいという共通の 望みである。
この最も弱い人間が、一人残らず平等に救われる社会。それは総て皆、万人の利益である。
それゆえに障害者に加えられる社会的差別は、人間の全的解放を通じてしか根絶し得ない。
真の意味で、僕たちが自分自身に復帰できるような社会に、そろそろなって欲しいものだ。
君たちの生が一回的であるなら、僕たちの生も又、一回的であるのだから…。(吉田正人著『奴隷の言葉』より抜粋)
これは、一回しかない《生》を無駄には出来ないぞと叫ぶ、彼の、《私》声明だと思うのです。
一回しかない《生》だから《私》が大切であり、大切な《私》だから、人間として社会的に生きたいと願うのでしょう。
人間として社会的に生きたいと希求している人こそ「健康であること」の大切さを理解することが出来るのではないでしょうか。(H)
医療問題を考える
── 医療の生活化
医療費の膨張は、いまや政治問題となっている。国民医療費は、‘81年度の統計によると、12兆8千7百億円に上り、国民皆保険が実施された‘61年以来20年間で約25倍の伸びである。この間の国民総生産(GNP)の伸びが13倍であるから、この急激な膨張やそこに内在している問題点は充分に検討されなければならない。
医療費の構成を見ると、①医療保険から54%、②国庫負担から35%、③自己負担が11%となっている。医薬品についてみると、4兆円余りの生産のうち、医療保険に使われる割合は85%で、残り15%は大衆薬(スイマグ等のような市販薬)となっている。しかし、市販薬代は、右の医療費の統計には含まれていない。又、統計外の医療費としては、「保険外の付き添い看護料や歯科の自由診療」等がある。
国民所得に対する医療費の占める比は6.4%であり、医療(費)は生活(費)の中にどっしりと根をおろしているのが実態である。
── 医療費はなぜ増えるか
品川信良著『誰がために医療はある』を見ると、
① 人口の自然増加に伴う医療費の増加
② 人口の高齢化に伴い、慢性の治りにくい病気にかかりやすい高齢者が増えること
③ 医療の守備範囲の拡大──医療は昔のような治療中心の狭い医療から、予防、スクリーニング、早期発見、リハビリテーションなどを含めた幅広い医療へと変わってきたこと
④ 医療そのものの大型化、高度化、高額化
の四点が医療費膨張の要因であるといっている。
── 医療費をめぐる様々な提言
今、健康保険法の改正が国会で審議中である。これを機会に、医療費問題で様々な意見がとび交っている。「過剰診療や不正請求の排除などの徹底と本人給付率の引き下げなどによる医療費総体の抑制」(健康保険組合連合会)、「財政力のある組合保険と体質の弱い国保との財政調整でのりきるべき」(日本医師会)
医療費問題は金銭処置の問題だろうか。金銭をめぐる問題はモノをめぐる問題として終始する。膨大な医療費の背景で進行する「いのちの価値」の軽重はどうであるか。出されるべき問題は沢山ある。「国民医療費をどうするかの大問題が、なぜ、いつも国家予算のつじつま合わせという形でしか出されないのか。」(‘83.8.21朝日新聞)という揶揄に一理ありそうな現状である。(S)
第6号 1984年4月23日