排泄は予防の元(はじめ)
水は高きより低きに行かん
紫陽花(あじさい)と田植えの季節である。五月雨(さみだれ)に濡れて、紫陽花がひときわ美しい。満面と水の引かれた稲田では、その豊かな水に守られて稲が生育しはじめた。それは、疎(うと)ましい梅雨空の下とは言え、古来より何の変化もない日本の四季であり、一つの風物である。悠久の営みは歴史というものの重みを教えてくれる。
しかし、蓄積された歴史が、どれ程に人智によって生かされているかというと疑問である。知識や経験として、ことわざという形にしてまで残されながら、同じ誤ちをくり返す愚は今も昔も変わらない。では、何が我々を閉ざしているのか。視界をひらくに困難をもたらしているものは何か。
この課題に答えるものが哲学や宗教であり、科学であるはずだった。が、依然として、それは未解決である。
「水は自由に高きより低きに行かんのみ。…水は誠に神の如きもので…へぼな人類などのきめたことには服従しない。」(田中正造の日記)
五年一〇年単位の目先の利害によって物事を考えるには無理がある。堅固で確かな事実から物事の真理を把みとっていく姿勢、田中正造にはそれがあった。現代人は、最も大切なものがなんであるかを、次第に忘れつつある。
── 表面化した米不足
「超古米出荷待った──需給見直し切迫・コメの返済を韓国に要請」(’84 5.29 朝日新聞)
「緊急輸入・揺れるコメ──論議呼ぶ米国産流入」(’84 6.2 朝日新聞)
「休耕田に抗議の田植え──韓国産米の輸入やめよ」(’84 6.9 朝日新聞)
昨年来より「米不足」か「需給安定」かの論争が続けられていたが、事実は真実を語ることになった。米不足は一時的な自給食糧不足の問題でなく、日本農業の根本にかかわる問題である。
── 低下する地方、荒れる農地
米不足の直接の原因は、四年連続の不作にあるとされている。冷夏が続く異常気象によって、’84年度も不作が予想されるという。
「53年度までの20年間にわたる農水省の調べでは、水田の約4割、畑の約7割、樹園地の6割強が不良土壌で、収穫物の収量、品質がよくなかったり、畑作の場合、連作障害が続発している」「55年以降、稲作で凶作不作が続いている青森県の被害地帯でも、平年作に近いような収穫をあげる生産者がいたが、いずれの場合も土つくりや栽培技術がしっかりし、有機質肥料を有効にとり入れていた」(’84 5.25 朝日新聞)
「デンマークはトウモロコシなどの飼料穀物を米国あたりから大量に輸入して何百頭も飼育する大規模畜産を盛んに奨励した。…個人農業ではやりにくいから企業化した」
「土地なき畜産」に走った農業会社の経営が急速に悪化し、「山野をうねって広がる青い見事な草地は捨て去られ、地域の農業は崩れて過疎化は進み、国土は荒れるばかりだ」
「デンマーク方式に走っていたら美しい牧場の広がるこの国の農山村に人がいなくなってしまう。たとえコストが高くついたとしても自国の農山村は守らなくては(スイス)」
「西独では、畜産工場方式に目を向けず、かたくなに草つくりに取り組んだ農民もいた。そういうところは、畜舎の3倍もありそうな干し草倉庫が周囲を圧している」(’83 9.30 朝日新聞 奥州農業の変容と苦闘)
── 農業と工業は併存できないのか
農業と工業の対立は歴史の宿命であろうか。日本の穀物自給率は、工業生産の成長に反比例して低下している。「奥州農業の変容と苦闘」に例示された問題は、他人のフンドシで相撲をとる者の暗い未来が示されている。と同時に、農業を「工業的発想」で論ずることがいかに馬鹿化ているかも示している。
昨年来の日米農産物交渉の中で、「国際分業論」がまことしやかに論じられた。農業予算が農業からの税収の何十倍という非効率を語る政治家もいた。つまり、工業立国をめざす日本に農業は必要なし、という結論である。経済効率という金銭感覚からみれば、事態はかくの如く見えるのであろうか。
しかし、敢えていえば、自動車の生産が更に伸び、電産、半導体市場が活況したとして、我々の生存条件にどれだけ貢献できるというのであろうか。
── 産業の在り方と文化
農業、林業、漁業などの最も基本的な産業が没落し、二次産業、まして三次産業などが拡大する生産構造は奇形とはいえないだろうか。文明文化を享受する基盤のひろがりが、文化の豊かさではなく、その退廃を促進しているのも、この事情にある。
現代人にとって、今、最も必要なものは何か。我々の社会の在り方、人間の生存の仕方にとって、何が最も健康な状態であるのか、今こそ問い直されねばならない。(S)
第7号 1984年6月20日