往時雑感
“秋雑感”
“価値観の多様化か単純化か”
消長の激しい週刊・月刊雑誌の中で、「競争社会で勝つ方法」を前面に押し出したビジネス雑誌が売れ続けているという。同様に、八〇年代に急成長を遂げた若者向けのハウツー雑誌「ビッグ・トゥモロウ」においても、「競争社会で失敗しないための処世術を、毎号ほとんどワンパターンで繰り返す」という。
「テーマは毎号、毎号、単純な話の繰り返しだが、その方が読者にうける。特に“勝つ”とか“強い”とかいう言葉を使った特集号や、天下を取った信長、秀吉、家康を取り上げた号は、爆発的に売れる傾向にある。」(1984年 7月7日 朝日新聞『プレジデント』山本編集長談)
他方では、若者たちの文字離れが進行している。文学書よりも漫画、小難しい理論、理屈よりも平易に解説され、漫画化されたものが好まれる。あたかも、自分の頭でものを考え究めることが、無用のようにさえ思われる傾向だ。
80年代は「価値観の多様化の時代」と言われた。価値観の多様化ということの背景には、異なる価値観をもつ、多くの個人、個性の存在が前提にある。しかし、実際は多様化でなく、単一化に向かっており、その根拠は、管理社会化に伴う単純な上昇志向にあるという。
“個性尊重の時代か、個性損失の時代か”
「管理社会は異質な部分が排除されて、社会全体が均質化しているのが特徴だが、均質化が徹底すると、今度は社会が凝集力を失って、砂漠の砂のようにバラバラになってしまう。均質性を保ちながら同時に凝集させるためには、小さな差異を作って競争をあおることが必要で、いわばゲーム化した単純な人生の勝ち負けがみんなの関心になる。」(1984年7月7日 朝日新聞・栗原彬)
「目標にしている差異も、到達した瞬間に消えてしまうようなもので、だから永遠に新しい差異を求め続けることになる。」(1984年7月7日 朝日新聞・岩井克人)
学校や企業のランクづけと、それに伴う異常な教育熱も、その元の姿を垣間見れば、上記のようなものではないだろうか。
アメリカの心理学者B・ベテルハイムは言う。
「現代は馬鹿騒ぎの時代であると同時に、またしばしば退屈の時代でもあって、我々の多くは、親しい人にさえ伝えるべき重要なことは、何ももっていないありさまである。」(『鍛えられた心』)
教育とは文化の伝承であり、文化は伝えるべき何かをつくり出していく営みである。個性もまた、そこに花咲くものではないだろうか。(S)
職場だより
今夏、66歳のKさん(女性)が退職されました。25年ちかくスイマグの仕事に従事して戴きました。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、以前はスイマグの包装も手がかかっていました。
容器はガラス瓶でしたので、割れないように片面ダンボールで一巻きして、化粧用包装紙でくるみ、瓶の上下にもダンボールを入れてから包装紙を折り込んでフタをし、底面と同じ大きさの包装紙を張ってから、上部にはなお帯を貼っておりました。
現在のようになって、すでに久しいのですが、その間Kさんは三保製薬の生き字引として、ほとんどを見てこられました。
Kさんの話を聞くと、ひとつ包装作業だけを取ってみても、ここ30年近くの変遷の様子を知ることができます。
また作業のすすめ方も、当然すべて飲み込んでおられるから、指示がなくても仕事はほとんど自主的に進んでいきます。このことが大変有難いことでした。
現在もKさんと同じ経験をされた人達によってスイマグを毎日みなさんのお手元にお届けすることが出来ます。
Kさんは三保製薬での体験談を、さりげなく話して退職されましたが、スイマグを製造出来ること、それを皆さんにお届け出来ることが、水の淀みなく流れているかの如く一体となって、むしろあっさりしている、そんな雰囲気の中で仕事をさせていただいております。
Kさんは今はお宅でくつろいだ生活をされています。長い間、本当にご苦労様でした。(H)
編集後記
▶︎英国ウェールズ生まれのC・W・ニコルという作家がいる。信州・黒姫高原のふもとに夫人と住む。ニコル氏は詩人谷川雁氏と一緒に宮沢賢治の英訳に取り組んでいる。
▶︎山の英訳はマウンテンである。しかし、英国ウェールズ地方のマウンテンは、宮沢賢治の岩手の山とは自ずと様相が異なる。抽象化された意味での山はマウンテンであろうが、言葉の実体にはふれられない、とニコル氏は言う。
▶︎言葉というものの実体、そこに人と人、人と自然の一体となった世界が浮かびあがってくる。それをどう表現し、伝えるのか。
▶︎異文化にふれ、異文化の中で生きることによって、人間を見据えるニコル氏の目が、深くやさしかったことが忘れられない。(S)
第9号 1984年10月20日