排泄は予防の元(はじめ)
今、健康問題を考える(八)
── 生きている科学のすすめ
「木を見て森を見ず」と言います。私達の体でいえば、細胞、組織や器官が木であり、それに連なる森が体であります。
そして個(木)と全体(森)が相互依存の関係にあって「生きている状態」であると言えると思います。
科学が分析的に過ぎれば木の存在にばかりとらわれ、全体としての森の存在を忘れがちになります。
「木も見て、森も見る」という科学がほんとうの科学と言えるのではないでしょうか。
科学も人間がするものであります。少数派の科学もあれば多数派の科学もあります。
少数派のそれが多数派のそれに批判的であればあるほど、少数派の科学は“非科学”視される傾向があります。
このことは自然科学に限らず社会人文科学でも同じと思いますが、多数派の科学が正しくて、「木も見て、森も見る」科学であると言えるか、それが問題です。
次のようにいう人もいます。
今日の科学の発展にはめざましいものがある。とくに生命や人間を研究する分野において顕著であるが、しかし重要なことは、
「従来の科学による既知領域は自然界全体のわずかな部分であり、むしろこれからの解明を待つ豊かな未知の部分にこそ、真に核心的なものがあるのではないかということに気づきはじめた点であり、これは学問全体にかかわる“座標軸の原点の移動”ともいえるものである。
(石井威星「ヒューマンサイエンス・ミクロコスモスへの挑戦」)
今日多数派の科学といわれるものについても、それが本当に科学的であるかないかは、未知の部分の解明を待たねばならないと思うのですが、“座標軸の原点の移動”によって、今少数派の科学が核心の科学になりうるやもしれません。
いずれにしてもそのためには「生きている自然」「生きている人間」、「生きている社会」について研究するという姿勢が必要と思うのです。(H)
第10号 1985年1月1日