往時雑感
“保健婦さんの仕事(つづき)”
保健婦さんの仕事は住民と共にあるということ、予防医学の知識と経験が生かされるのではないかということにおいて私自身、以前より関心を持っていました。
大阪大学の丸山博先生によりますと「公衆衛生とは予防医学の知見を一定の社会集団に対して、適当なる行政組織を通して応用することである」ということです。
生涯を公衆衛生に従事されてこられた保健婦の西本多美江さんには、私達は本当に多くのことを学ぶことができます。
西本さんによれば、予防医学を保健婦の技術として応用すると同時に保健婦の認識として大事なのは、「健康とか病気とかケガというのは、人々の暮らし、特に生産労働の生活と切り離しては考えられない」「健康が心がけ次第で得られると思うのは間違い」であって人々のどういう暮らしのどういうところから、この人の健康阻害が起こってきたのか、そこを見るのが保健婦の視点であると語られます。
住民が病人にならないために、また病人にかかわる場合も病気の部分だけを見てはいけないと指摘されています。保健婦は社会環境にも自然環境にも目を配ることが必要であるというわけです。
「喘息の発作が起こったら背中をなでたりして楽に呼吸をさせてあげようとするその行為は看護です。しかし問題はその工場の煤煙、飛び散るいろいろの有害物質、そういうものをどういう風に住民の健康のために除いていくかという働きかけなしに背中をいくらなでたって解決しないと思います。(西本多美江著「ほんとに保健婦」より)
西本さんのように社会的視点をもち、予防医学の技術をもって、住民と共に歩もうとされている保健婦さんがおられるということは心強い限りだと思います。
“共に歩む”
西本さんは「公衆衛生とかは、上から与えるものではなくて住民と共につくり出すもの、住民の健康でありたいと願う力に頼って推し進めるものです。」と語られる。
誰かが誰かに「してあげる」または「してもらう」といういつも変わらぬ世相にあって、共に歩もうという考え方こそ、何事によらず必要なことだろうと思います。(H)
たいへんお父さん思いのTさんが、「健康について考える集い ─ 甲田医院・甲田光雄先生 の講演会」(清水西会主催)で聴講されたときの感想をお寄せ下さいました。演題は「健康長寿の秘訣」でした。
“出会い・そして生きる”
一つの出会いが、人の生き方を変えることがあります。甲田光雄先生に初めてお目にかかったことが、そのきっかけとなりました。
「健康を考えるつどい」における先生の講演を伺い、病気になる原因が頚椎から脊椎のゆがみにあること、アキレス腱を鍛えることが健康の要諦であること、宿便の恐ろしさなど、今までそういう知識をモタなかったことは、健康に対して何と無頓着であったことかと、改めて認識をさせられました。
季節の変わり目によく風邪をひき扁桃腺が腫れて半月も一ヶ月も病んでいたのですが、治ってしまうと、さも健康体であるかのような生活をしてきたのです。こういう体では、決して健康体であるとは言えないでしょう。健康体であるためにはふだんからの予防がものを言うのだということを知らされました。
甲田光雄著「ガン予防への道」「白砂糖の害」「現代医学の盲点をつく」「生菜食療法」と読み続けるうちに、病気に対する怖さが薄らいでいくように感じます。それらの書物は厖大な資料をもとに、医学会の発表を克明に記してあり、その上で先生の研究が書かれています。ことに私が驚いたことは、生菜食によりガン患者が治癒していった記録でした。生菜食 ─ これはぜひ実行してみるべきだ。父にもぜひ薦めてみよう。そう決心したのです。
父はことし八十八歳になります。病気らしい病気もしないで大丈夫だと思っていたのですが、寝たきりの生活をするようになってから一年余りたちました。高齢だから体の機能が衰えることは仕方がないと思う反面、生きている限りは何とか健康体に戻してやりたいと思うのですが、その術を私は知りませんでした。
入退院を繰り返していた昨年は、採血やら、レントゲンやら、検査検査の毎日でした。幾ら医師を信頼しているからといっても、これでは家族の安心を得ることはできません。
生菜食を実行しはじめた私は、早速父を訪ねました。ジューサーや玄米粉を作る機械を持参したのですが、家族から「家にも同じようなものがあるよ」とすげない返事。あっても使っている形跡はないのです。父に至っても「先生(医師)から薬はちゃんと飲むように」言われているし「食べたいものを食べ」、「いつお迎えが来てもいい」、「あんまり長生きしてちゃ迷惑だから」と生きていることの言い訳をしているような言葉を聞いていると、がっかりした気持ちを通り越して、人間なんてこんなものだったのかと、自分自身が敗北していくような、惨めな思いに沈んでしまうのです。父にしてみれば家族の手前という現実から口に出すのかもしれませんが、なぜか説得もできないまま引き下がってしまう私も、現実の重みをはねのけることができないのです。本当にその人の身になって考えてみることが、いかに難しいことであるかと思い知らされるのです。
しかし、私自身のことを考えると、肩が凝れば歳だから、便秘が続けば下剤を飲めばいいといった安易な処理方法で過ごしてきたことは、生活そのものを軽んじてきたことだと思わずにいられないのです。
今、私は父の年齢まで生きてみたいと望んでいます。健康を保ち、長生きをすること、それ自体が生活であるということを学んだからです。「実践に勝る理論はない」甲田先生は、そういっているに思います。人生の言い訳をする父たちを、これからもしかり続けるつもりで、私は今日も黙々と野菜をきざんでいます。(E・T)
── スイマグのパッケージについて
スイマグのパッケージのデザインが三十年ぶりに新しく生まれ変わります。パッケージは単に内容物を保護する為の原始的な機能から出発したのが現在は商品の外装として、コミュニケーションの重要な媒体としての役割を持つようになってきました。
新しいスイマグのデザインは商品名のロゴタイプ、欧文と日本字が変わり、色はブルーとレッドに統一しました、欧文のSuimagと縦の淡いブルーの線は流動的な水のイメージと生命力を表現し、横の濃いブルーは海のイメージを現しました。
心も体も自然がいい。お腹の中も爽快な気分で毎日を過ごしたい、そんな願いを込めてデザインしてみました。小さなお子様から若い方、お年寄りの方まで男女を問わず皆様の生活の中に溶け込んで末長く家庭の常備薬としてご愛用いただけたらと思います。
グラフィックデザイナー(T)
編集後記
▶︎西本多美江さんは群馬県佐波郡東村の保健婦さんでしたが、現在は退職されて高崎市の伊野クリニックで再び医療活動をされています。いつまでもお元気でいて戴きたい本当に大切な方です。
▶︎十月頃には新しいデザインの化粧箱とビンに変わります。長く親しんできただけに何やら寂しい気がします。(H)
第14号 1985年9月1日