「土と腸」三保製薬研究所物語(十七)
── 朝食なしの二食
●中泉農学校時代、尊敬する先生に金沢光斉先生がおられた。先生がなさることで、一番印象に残っているのは、朝ごはんを食べないということだった。この先生は、長くこれをなさっているんだ。だからお前達もやれというわけではない。俺はこうだという話をされた。
もともとそういう話をずっとされたわけではなくて、いつのまにか金沢先生はこうだということがわかってきた。何故食べないのかというと、その方が体の調子がいいからだ。当時それをまねして何人かがやったが、自分などはその筆頭の方だった。やってみるとなるほど体の調子がいい。しかし、学校だけではなく農業の手伝いもしている時にやったのだから、非常な苦心だったよ。若い時は食べるから。金沢先生のお顔が頭に浮かんでくると、ここでくじけてはいかんと歯ぎしりしてやった。これが自分の二食の最初だった。やり方によっては多少無理なところもあるが、やるうちに長所がだんだん出てくる。短所はだんだん少なくなる。そういう生活をしているうちに二食のよさがわかってきた。
自分の若い頃は、朝食を六時頃食べ、一〇時に昼食、一四時に“ようじゃ”(補足:焼津地方の方言でおやつのこと) 、一八時に夕食と一日四回食べる。これは生活の都合からだった。しかし生活の都合だけでなく、体のためになる食事方法でなくてはならない。だから自分はまっ先に、二食をやったよ。では昼食と夕食は何時に食べなきゃいけないのか。昼食は太陽が一番高く上がった時がよい。夕食は運動が終わって体を休める前に食べるのが良いと金沢先生に教わったよ。朝食はとらないが、水分はとらなくてはいけない。
──西医学との出会い
○西式をはじめて知ったのは、片平七太郎さんからだったのですか。
●片平七太郎さんは、庵原村杉山の出だ。同村のよしみで一緒になる機会が多かった。片平さんという人は読書家で、非常によく勉強をしていた。
あの人の言うことはすばらしく、自分も成長した。その中に西式があった。自分も二食をやっていたので、この話はよくわかった。しかし片平さんは、西式の勉強はしていたが、西式とは言わず、朝ごはんを食べないとか、板の上に寝るというように言っていた。片平さんは非常によく勉強すると同時によく実行もする人だったので信頼し、自分もそのまねをした。だんだん裏返してみると、それが西式だということがわかったんだよ。
(To be continued)
語り手 花澤政雄(三保製薬研究所 創業者) 1982年2月18日