「土と腸」三保製薬研究所物語(十八)
── 講演会
●西勝造先生は、静岡から講演を始めた。他の府県ではなかった。それは、片平七太郎さんなどがいたからだ。それから片平さんの周辺に我々がいた。講演会はかなりやった。もっぱら静岡の鷹匠町の顕光院(けんこういん)というお寺(後焼失)だった。足の事だけでも何ヶ月も続けてやるんだ。西先生の話はおもしろい。最低二時間、非常に科学的だからね。飽きない。静岡の人達にはプラスになっているはずだよ。
──自分を知る
○西勝造先生は、どういう人ですか。
●人間として最も良く自分を知ったという人だ。これが西式健康法を編み出した。
○自分を知ったということは、西勝造先生にとってどういうことなのですか。
●人間というものの学問をした。一万何千冊という健康に関する書物を集め読んだ。健康、病気、生活などに関する専門書はかなり多い。それを集めるだけでも容易ではない。あの頃、七十数ヶ国の国々のそれに関する書物を全部集めたんだ。だから自分をどうして極めるかということに努力した。そこで西式健康法が編み出されたと思う。これは人によって見方が違う。つまり西式健康法はあの当時はそうであったが、これからはそうとばかり言えない。さらに時代感覚を持って進まなくてはならないという見方もある。それはある程度ないとは言えないが、人間生活上、六大法則、四大原則は、にわかに作ったものではない。たいしたものだ。編みだしたとは、編みだされるような生活をし、考え、勉強したということになる。そういう点が偉い。あの位の人が、これから出ない限りは、あれ以上の健康法は生まれないと自分は思っている。
三〇年、四〇年、五〇年前には何々式健康法と言ったものは数多くあった。ある人が、ある地方で何々式健康法を発表する。それについていく人が集まる。こういうものがかなりあったが、だんだん無くなってきた。今日はほとんどない。西式健康法はその中でも本当によく極めた法則があった。今の若い人の中には簡単に言う人がいるかもしれないが、いつの年代でも必ず人間生活というものに密着してしまう。これから離れることはできない。どういう時代、どんな人でもこれにぶち当たる。これを極めたのが西式健康法なのだ。
(To be continued)
語り手 花澤政雄(三保製薬研究所 創業者) 1982年2月18日