排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(八)
“飢えを創る”
乳児が生まれ落ちるやいなや母乳を求めるように、いのちあるものは生まれながらにして飢えている。これは私達人間の本能であり、また飢えることが精神的にも肉体的にもその力の原動力になることもわかります。今の人達にはハングリー精神がないと言いますが、これも飢えることが行動の原動力になるということなのでしょう。
私達のからだの細胞もいのちがあって飢えているため毛細血管より血液を求めます。この吸引力が血液循環の原動力になります。
さてこの血液循環は、言ってみれば、人間をとりまく供給と消費の“社会関係”と見ることが出来るでしょう。そこで、この社会関係の質と量の問題ですが、いのちあるものが生存して行く上で必要な質であるかどうか、また供給の量は適正であるかどうかを問いたいのです。身のまわりの現実は、生存の意義を超えて、飽食であり、過剰にしてすでに恐慌状態にある、そう思えてくるのです。
私達の身体であれば、これはすでに病気です。食欲がなくてあたりまえです。しかし食欲をコントロールできないのも人間です。
私達の社会においても、原動力であるはずの一人一人の人間、その私達にまだ力が足りません。過剰であれば、それを拒否できる一人一人(一つ一つの細胞)を作りあげるしかありません。
飢えはすべての物の教師であります。知恵の倉庫であります。ゆえにわれらは飢えを知り、これを実行し、理解し、修養しなければなりません。(西勝造・著作集より)
飢えからの解放の求心力が原動力であり、飢えを修養することが原動力を再生することになるのでしょう。
食欲がなかったら食物の摂取を断てばよい。血液中の老廃物質が過剰になって、静脈管は少しでも早くこれを輸送しようとして毛細血管との間に真空をつくり、毛細血管は毛管現象を起こして血液を吸引し、循環を促す。食を断って全身の細胞が飢えると、細胞の栄養要求度が高まって小静脈と毛細血管の間にできる、真空の程度は強くなり毛管現象を促進し血液の循環を良くする。
飢えているところには再生の可能性がある。からだが教えてくれます。(H)
第19号 1986年7月1日