往時雑感
本棚から 画家の生涯
田中一村(1908~1977)。
画壇から遠くはなれ、日本画の正道を探究した孤高の画家だった。作品には、亜熱帯の奄美の自然が息づき、その生き方は、不遇な生活にもかかわらず、芸術家としての矜持に満ちていた。(―アダンの画帖「田中一村伝」―南日本新聞社編)
日本にもこんな絵かきが居たのかと、その生き方に驚き、胸あつくなる思いをしたのです。作品は大胆で、精細で、気品にあふれています。
奄美での代表作の数点は間違いなく、戦後日本画壇史に残るであろうと断言する評者もいるとのことです。
学閥や金力や世のあらゆる権威に頼らず、ただ自らの才能だけを信じて、世に認められることもなく、貧窮をものともせず、ひたすら絵を描くために生きた。
「私は紬工場に染色工として働いています。有数の熟練工として日給450円也。まことに零細ですが、それでも昭和42年の夏まで(5年間)働けば、3年間の生活費と絵の具代が捻出できると思われます。そして私の絵かきとしての最後を飾る立派な絵をかきたいと考えています」
借家の庭先の五坪の菜園は、四季おりおりの野菜が手まめに植えられ、よく手入れされていた。菜食を中心とする一村にとって庭先五坪の菜園に生命を託しているようなものだった。
生活の苦労と戦い、また生命を養うためにかたくななまでに自分を律して生きていた。時には苦悩のあまり、くずれ落ちそうになった筈です。
しかし、それにひるまず、さらに一村をつき動かしていたものは―、
「私は絵をかくために生きているのです。」
という自分の生き方への確信であったろうし、絵かきとして「自分の良心を納得させるために描きたい」一念からであったのでしょう。
「絵かきは絵筆一本、飄然と旅に出るようでないといけません」
「絵かきは、わがまま勝手に描くところに、絵かきの値打ちがあるので、もしお客様の鼻息をうかがって描くようになった時は、それは生活の為の奴隷に転落したものと信じます。勝手気ままに描いたものが、偶然にも見る人の気持と一致することも稀にはある。それでよろしいかと思います。その為に絵かきが生活に窮したとしても致し方ないことでしょう」
一読をお勧めしたいと思いました。(H)
スイマグ考
スイマグの濃度
スイマグ(水酸化マグネシウム)の効果は、濃度が基本的要件であることに違いはないのですが、スイマグを、より効果的にするため、そこに水の存在が必要不可欠です。
スイマグを飲むということは、体内組織の水分を使うということですから、失った水分を常に補給することが大切です。
効果は濃度が前提であるとすれば、スイマグを薄めて飲みやすくする水は、効果を成就させるための大前提です。この点において、濃度だけを問題にすることは無意味で、濃ければ良いということではありません。
スイマグを飲むときの生水、口直しの生水、普段においてとる水、それらの水を手助けする薬としてスイマグを利用して戴くことが、基本的に正しい使い方であると思います。(H)
スイマグの表示変更について
この度、またスイマグの表示を変更することになりました。
一つは、濃度の表示が、9.99%から、10%に戻ります。これは、以前にも書かせていただきましたが、実質的には同じ濃度です。従って、厚生省には、9.99%で届け出ておりますが、同じ濃度であること、数字的にすっきりした方が、製品として感じが良いということで、薬務課から許可を戴き、10%表示に戻すことになりました。
もう一つは、用法用量の欄です。今回は、制酸剤としての用量が、制酸薬再評価の結果、5mlから4mlに変更になりました。これは、制酸剤としてお使い戴く場合、4mlでも、有効であるということが立証された結果ですので、ご了解いただきたいと思います。(H)
編集後記
▼大衆的情報源であるテレビ。チャンネルを切りかえれば、原発の事故のニュースあり、歌謡番組あり、料理教室あり、ホームドラマあり、株式ニュースあり、ニューカーのコマーシャルあり、です。これが同時進行しているテレビ社会ですが、テレビは原発事故の深刻さをむしろ希薄にしてしまいます。まさに平面的な理解しか得られません。
▼現代は車社会です。車は町並みを早く通過させ、時間の節約を享受させてくれます。しかしそのスピードのゆえに視界をせまくし、危険と鉢合わせです。
▼これらに代表される現代社会は、考えることの力と機会を恐ろしく減退させているように思います。
▼田中一村の本は他に「田中一村作品集」―NHK出版―があります。(H)
第20号 1986年9月1日