「土と腸」三保製薬研究所物語(七)
── 柑橘同業組合のころ
●郡市単位の広い範囲のものに同業組合があった。それが農協の前身であるわけだ。又、これも後に農協に改組されるのだが、町村単位の農会というものがあった。行政的な市町村役場に対して、農会は日本の農業の最下部の組織で、農業のことは全て農会で行うということだった。郡制廃止でなくなった元の(旧庵原郡)郡役所の建物に、各種の同業組合が雑居していた。僕のいた席(柑橘同業組合)の隣は郡農会の席があり、すぐ隣は畜産同業組合の人たちなどがいた。
静岡県は同業組合の種類の多い県だった。柑橘をはじめ、養蚕、茶葉、畜産など、他の府県にはみられない特殊の静岡県農業ということができる。何故、そんな特殊な同業組合がいくつも出来たかというと、静岡県の地形がものをいう。愛知県や神奈川県に比べると非常に山が多い。気候的には温暖だ。これがいろいろの産業を起こした基になる。特に、清水市(現在は静岡市清水区)を中心とした庵原郡は代表的なものだった。
三ヶ日町は愛知県に接したところだ。ミカンが多い。愛知県と静岡県の境に赤石連山が走っており、海に出ている。そこで気候がぐっと変わってしまう。気象の関係で、愛知県は温度は低いが、三ヶ日に入ると暖かい。志太郡に入ると山もあるが平地が多い。稲作が盛んだ。庵原郡に入ると気候は更によくなる。温暖で山岳が多い。富士郡へ行くと、温度は若干下がる。あの地方で柑橘業をやりたいという人がふえたが、僕はそっちへは手をのばさない。何故やらないかというと、環境的にこっちより条件がよくない。あちらは富士梨の産地だった。伊豆はどうかというと、伊豆地帯むきの農業というものが起こってくる。
農業というものは気象と見合いしたものでなければならない。環境条件にふさわしい農業が起こってこなければウソだ。その辺りを指導者は達観しなければならない。自分の分担する地域はどういう特徴があるのか、それを十分にのみこまないと十分な指導はできない。農業の場合はそれが直結するからだ。
それから生まれた技術というものが、本当の技術だ。ただ、学校で勉強した程度の上っぺらな技術では本当の技術ではない。農業の技術者というものは、その特徴というものを、よく咀しゃくした上での技術でなければいけない。これは書物なりには出ていない。自分の身をもって勉強しなければいけないということを知った。
(To be continued)
語り手 花澤政雄(三保製薬研究所 創業者) 1982年2月8日