「土と腸」三保製薬研究所物語(十四)
── 木を見て教わる
○静柑連の時代、よく山歩きもされましたね。
●歩いた、歩いた。県下隈なく歩き、どこにどんなミカンがあり、その所有者が誰であるかということまでわかった。ミカン園の実際がわかるから、こうして剪定しなくてはならない、肥料はこうあるべきだとかが割り出されてくる。ミカン作りについては、僕は若い。
講演では、はるかに先輩が聞いているので、ちょっと気が引けるのが本当だよ。だが実際を見ているので、どんな経験者にでも気が引けなかった。それが本当の生きた話だよ。そういう期間が長かった。それで非常に勉強になった。勉強になるからこそ仕事ができるようになる。皆さん方の為に大へん働けたなんてものではなく、実は皆教わるんだ。
教わることも僕の場合、栽培者からより、ミカン山、ミカンの木から教わることが多かった。人間は、都合のいい言い方をするが、ミカンの木は一番正直だからね。ありのままだから。こういったことを講演の中に織り込んでいった。こういった指導をしたんだ。自然を相手にする仕事には、それがあるんだよ。それがいいんだ。
○田を思う心、木を見る心(=思想)があって初めて人間が考えることが出来るということですね。今は木をみて教わるという生活はないように思いますが。
●いや、どこにも転がっている。たとえば会社に訪ねてくる人から教わろうとする気があれば、その態度は満点だ。必ず教えられるものがある。言葉をかえて言えば、自分でなくして、向こう側の人の立場になる。そうすると、こちらの話し方も変わってくるということだ。
○このころ三保製薬研究所の仕事もいっしょに始まったのですね。
●これはよくない。静柑連の仕事に専念している時に、三保製薬研究所の事業というものはいけない。しかし、僕の考え方だとそうも言ってられなかった。つまり静柑連の延長だという考え方になってしまう。スイマグの研究をしておって、これがミカン界にどういう影響があったかを考えてみると、これは素晴らしい影響を与えた。極めて簡単なことだが。スイマグの主成分はマグネシアだ。ミカンとマグネシアとの関係はどうか。日本は海洋に囲まれ、マグネシアの不足はあり得ないようだが、実際は雨が多いので不足している。マグネシアの不足はミカンの生育によくないということをしきりと考えた。
(To be continued)
語り手 花澤政雄(三保製薬研究所 創業者) 1982年2月18日