往時雑感
“そ食”
粗食粗食と言いますが、この粗食について、いささか語呂あわせの感もありますが、「素食」であればと思うのです。
たとえば素衣ということは言いますが、素食は聞いたことがありません。
ただ、食の本来の中身を文字で表せば「素食」ではないかと言うことです。
粗食というと、そまつな食事とか質が悪い食物というところでしょうが、ぜいたくではないが、本来のもの、あまり手を加えないで自然のままの、又はそのものを生かしたものという意味で素食がいいのではないでしょうか。
食物にはかならず一長一短があって、おのおのその特徴を持っているわけですが、食を味わうということは、その食物の持っている本来のものを生かして味わうということにあると思うのです。
本来のものの中に一短があったからとて、それを切って取るのではなくて、足らないところは二つとすることで補い合うことが出来ます。
だからといって、最近お役所が呼びかけているように、では30種類を取りなさいというのは、補い合うことの意味をこえて数合わせのようにも思います。
またカロリー重視の考え方は、食物のもっている本来のものを味わうことの意味をこえて量合わせのように思います。
さて私達の摂取した食物は、その一部は体を構成する要素となり、一部はエネルギーとなって活動の素となり、また一部は生体を調節する素となります。
この意味において食物の材料は出来る限り安全なものが必要であることは当然でしょう。
また食事は、味だけでなく、色つや、香り、温度、舌ざわり、歯ざわり、音で味わうものです。
食べる場所の雰囲気や食べる人の健康状態によって味は変わってきます。
これらが素食の前提になければなりません。
ではどうしたら素食が出来るのか。
それはやはり出来る限り自前の食事であることでしょう。
勿論、材料までも自前のものであれば、それにこしたことはありません。
しかし、それが出来る人と出来ない人がいます。
ただ材料を出来るだけ本来のものを使うこと、あまり手を加えないで自然のままのもの、またはその材料を生かした料理を心がけることで素食を味わうことが出来ると思います。
出来るだけ自分で作る―それが、「食」の本来のあり方でしょう。
尚大切なことは素食を慎んで戴くことだと思います。(H)
スイマグ考
“スイマグの下痢”
腸がきれいになっている人で、腸がよく動く人は、朝起きて、一杯の生水を飲んだだけで、すぐ便意を催して便所へ駆けこまなければならず、スイマグのような緩下剤を少し飲用すれば、腹がグルグル鳴って気持が悪いくらいになります。(西勝造著作集解説―甲田医院々長・甲田光雄先生―より)
お腹が鳴るなど経験のなかった人にとっては気持ち悪い程の不思議なことなのです。
また人前でお腹が鳴って困ってしまった方もおられるでしょう。しかし鳴るお腹を知ってその存在を覚える程に、それは歓迎すべきことなのです。
さてスイマグの下痢について時々、お問合わせを戴きます。
お腹の状態が悪くて下痢状態というのは、生体が毒素を早く排出すべく、良くなろうとして下痢をしているのですから、生水をチビリチビリ飲んで失った水分を補給してやることが大切です。
スイマグを飲んで下痢状態にあるというのも、生体のもつ良くなろうとする力を、なおうながしてやることですから、特に生水を補給することが大切になってきます。
下痢便は悪いものと考えている人がいますが、そうではなくてまず出すことが大切であり生水を補給することが肝要です。
そして“補給の生水”から一歩進んで、日頃より生水の飲用の習慣をつけ、その生水を手助けする薬としてスイマグを活用して戴くことで、便の状態(下痢便も含めて)をも自由にコントロールすることが出来るようになると思います。
編集後記
▶︎自分の作れる範囲のもので生活する―いとも簡単に書いてしまいましたが、これがなんとも大変なことなんですね。
それができないような暮らし向きになっているのですから。
しかし、せめて自分のからだくらい、責任をもってやりませんと、後悔してしまうと思うのです。
▶︎子供達が親の作ってくれたお弁当をもって学校に行く、親にその時間と心の余裕をもつ強さが試されます。
▶︎信州は奥蓼科、八ヶ岳連峰の麓にある「しぶの湯」というところに社内旅行をして来ました。
深い霧がつかの間に晴れた時見た紅葉は素晴らしく、夕やみせまる信州の空を、なんとも表現しようのないくらい幻想的に見せてくれた夕焼の美しさは、うれしい想い出になりました。
まだ、空気が本当にきれいなんですね。(H)
第15号 1985年11月1日