排泄は予防の元(はじめ)
今、健康問題を考える(七)
── 自分ですること、できること
「そもそも人類とは、捕捉者でも工作者でも思索者でもなく、耕作者であることがその特質である」(安藤昌益全集より)
というのが安藤昌益(一七〇三?〜一七六二年・徳川中期を生きた八戸の町医者)の人間本質論ですが、そこから人間のなすべき道は「直耕」(直接耕作する)のひとすじであるという考えが生まれてくるわけです。
彼は天地の生成運動と、生物の生存活動と、人間の生産活動とを一括して、「直耕」と呼んでいるのですが、天地も生きて直耕しており、人間も天地の直耕を受け継いで生きている。このことは医学においても直耕、つまり労働こそが健康のもとだと考えることになっていきます。
「常に耕シテ身ヲ使フテ倦(う)ムコト無キ故ニ難産ノ患(うる)ヒモ無ク」
「食傷・痞(つかえ)・癪(しゃく)・水腫(すいしゅ)・張満(ちょうまん)等ノ病者も無イ」(同全集より)
安藤昌益のいう「労働」は、自分で作って自分で使う、自分の作ったものが、そのまま自分たちのものになる。それは農耕主体の共同体社会のそれであったのでしょう。
一方で、労働が人間を成長させず、働くことが自分の能力を高めることになりえていない「労働」にあっては。働くことそのものがいやにもなり、倦む、つまり疲れる。これこそ病のもとになるといえましょう。
働くことで益々心を貧しくしている「労働」の現状にあって、私達自身が現代の耕作者足らんとするなら、私達には今何が必要なのでしょうか。
「貧乏と病気をしないことが幸福なのだ。医学という狭い分野で彷徨するよりも、人間が病気をしない、貧乏をしない哲学の方がむしろいい。」(西勝造・西式健康法創始者 著作集より)
人は労働することで自然の治癒力が充分にはたらき、みな無病息災であるという社会にあって、貧しくならない哲学を、病気にならない科学を自分のものとしていかなければと思うのですが。(H)
第9号 1984年10月20日