排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(一)
“介助の意味”
「障害児の教育で介助ということをいうわけですけれど、私は、介助というものは教師が自分の力で子供を立たせたり動かしたりすることではなくて、教師がわきについていることによって、子供の中に動こうという意思が生まれてくる。そして、動く上にちょっとした支えを出してやる、そういうことが介助だと思っておりますけれども、そういう介助ということの中に教育の原点があるのではないかと思うわけです。」(林竹二著『教育の根底にあるもの』より)
「あらゆる子供が必ずかけがえのない宝を持って生まれてきているんです。」「それを探り当て掘り起こすことが教育なんです。」と言われる。
体であっても、たとえば風邪をひいて寒気がすることも、その後の発熱も良くなろうとする力が働いていることの現れですから、止めたりしないで、むしろ促してやる。そして良くなる過程で使われた水分や塩分、ビタミンCなどを補給してやる。これが体に備わっている自然治癒力を発揮させるところの“介助”であると思います。
この自然に良くなろうとする力があることを知らないで、そして何を補ってやればいいか分からなければ、健康は取り戻せないと同様に、子供の力を知らなければ教育の再生への道も開けてこないわけですね。
林先生は子供たちとの出会いを求めて全国の小中学校で授業をしてこられたのですが、そこで子供のもっている力、「それは、すばらしい、際限がないというほどの、非常に細やかな、しかも正確な感受性を持った子供たち。」を見てしまったのですね。
私たちは、とかく「探り当てて掘り起こし」てみるということを怠ってしまいます。
体のもっている力も、子供のもっている“宝”も探して見なければ分からない。探してみるということの中に“介助”の心と処方の答えがあるように思えます。(H)
第12号 1985年5月1日