排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(七)
“プラス・マイナス・ゼロ”
入ってくるものと出ていくものが同じ量で差引き零(ゼロ)というのは、たとえばどういうことでしょうか。
経済にあっては、収入と支出が同じで差し引き零ということでしょう。当面する必要経費を除けば蓄えというほどのものはない状態です。これは会社経済であっても個人の台所であっても同じこととして考えられます。
私達のからだにあってはどうでしょうか。食べるものと排泄されるものの量が等しく、労働にこと欠かない程度の体力維持を必要エネルギーとして、それ以上の蓄え、つまり太るというほどにはならない状態であると考えることができると思います。
勿論「収支」の中身が問題なのです。太らなければいいと、ご飯を食べないで甘いものを食べていればその害にやられてしまう。
売れればいいからと何でも作るということであれば、物によってはその害によって人類の破滅になりかねません。
害にならないものを必要なだけ採る、たぶんそれはからだつきであれば、無駄のないからだつきなのだと言えると思います。
しかし、私達は蓄えをしようと励みます。その日ぐらしでは不安ですから蓄えの必要はあたりまえと言えば当り前なのです。不意の事態にも備えておきたいのです。
ただしこの蓄えが変じて停滞になりますと、その害にやられるようになります。からだも同じです。
「繁栄の終り」(ポール・R・エーリック アン・H・エーリック著)の中で著者は次のように言います。
エネルギーを浪費する、無駄にとりつかれた成長一辺倒の生活様式は、幕をおろそうとしている。
到来する社会の大津波に呑みこまれないための魔法の原理は、自分の将来の問題と取り組み、最大限の自立を達成することである。
「収支」が質において良く、量において少なくなることが大切であり、「からだつき」を意識することも、わが心身の自立の度合いを知ることになるのではないでしょうか。(H)
第18号 1986年5月1日