排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(三)
“モモのところへ、行ってごらん”
モモのところには、いれかわりたちかわり、みんながたずねて来ました。いつでもだれかがモモのそばにすわって、なにかいっしょうけんめい話しこんでいます。
小さなモモにできたこと、それはあいての話を聞くことでした。彼女はただじっとすわって注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。
モモに話を聞いてもらっていると、その人はふしぎとじぶんをとりもどすことができたんです。
ミヒャエル・エンデの『モモ』は、彼女がいるだけでまわりの人たちが、安らいでいくような、そんなふしぎな少女、モモの物語です。
私達は、話を聞くぐらいのことはいつでもやっていると思いますが、それはせいぜい自分が話すために聞くか立ち止まって聞く程度のことであって、モモのように「ほんとうに聞く」、不幸な人には希望と明るさがわいてくるように「聞く」それではないように思います。
人々が「時間がない」、「ひまがない」、「忙しい、忙しい」と時間を「節約」していく時モモは、時間をつかさどるマイスター・ホラに時間の意味を教えられます。
そして時間の花の咲く壮麗な殿堂を見て、ひとりひとりの人間に与えられる時間のゆたかさ、うつくしさを知ります。(大島かおり『モモ』あとがきより)
モモとても、ふしぎな才能をもっているだけでいたのではなくて、人間に与えられた時間の意味をまなばなければならなかったんですね。
モモは人々に時間の大切さを教えることができたんです。
私達は、私達を忙しく追い立てているものの存在に気がつかず、忙しさに身を任せてしまっている自分をかえりみようとしないで、ただただ心をきずつけ、からだを痛めつづけています。モモには「病気になるのはあたりまえですよ」とでも言われそうです。(H)
第14号 1985年9月1日