排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(九)
“自分の足で立つ”
「自分の足で立って自分の頭で考える」。
自分の足なんだから、自分の頭なんだから、そんなことはあたりまえで、誰しもやっていることですよと失笑を買うかもしれません。
しかし、自分の足で歩くのですから、自分の足を痛めることもあるでしょうし、自分の頭で考えているのですから、悩んだときは自分がつらい思いをします。
誰だって“苦痛”などは、できることなら避けたいのですね。痛みは明日にしてと思うかもしれません。そして“痛みのない今日”という日が永遠に続くと思っている―。
しかし傷んではじめて、足の存在を知り、からだのあり方を知る―、頭を悩ませてはじめて、心の存在を知り、人間のあり方を学ぶ―、どうも私達は、そのようにできているのではないでしょうか。
吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」という本の中に次のような一節がありました。
ぼくたちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だからあやまりを犯すこともある。
しかし― ぼくたちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから、あやまりから立ちなおることもできるのだ。
ですから「自分の足で立って自分の頭で考える」とは、そうでなければ反省もないし、どう生きてゆくのが正しいかを考えることにもならない、ことのようです。
そうであるとしますと、この「私」はどうでしょうか。
私たちは、自分を決定しているのは自分である、ことを自覚できなくなっているのではないでしょうか。
そして、もしかしたら、自分を決定するのは他人にまかせて、と考えたくなっているのではないでしょうか。失敗を恐れるあまりに…。
勿論私達は一人だけで生きているのではありませんし、自分のことを自分で考える人が集まって一つのことを成していかなければなりません。
自分を自覚しつつ、本当のことを知るために人と交わる、それができる自分になりたいと思います。(H)
第20号 1986年9月1日