排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(二)
“日常のなかに”
一定の時間に起床すること、一日に一定の時間だけ黙想すること、読書すること、音楽を聞くこと散歩すること、推理小説や映画のような逃避的なものに耽らないこと、少なくとも限度を超えないこと。食べ過ぎない、あるいは飲み過ぎないことなどはあきらかに初歩的な規則である。
しかし最も重要なのは、鍛錬は外から課せられる規則のように実践されるべきではなく、快く感じられなければならないことである。
これは何かと言いますと、E・フロムという人が提案する自己鍛錬の方法なんです。
鍛錬というと近寄りがたく感じますし、又肉体を特別に鍛えることのように考えますが、そうではなくて「心とからだ」を養う、その初歩的であってもきわめて基本的なものは日常の生活の中でできそうなことなんですね。
といっても、それができない現実の諸々の壁があることも理解しなければならないと思いますが。
さて同じく大切なことは、何のために「心とからだ」を養うのかと、いつも快く考えられることではないでしょうか。
先のフロム氏の具体案を引用しているのがW・エヴァレット氏ですが、そのエヴァレット氏は著書『生きることと愛すること』の中で、次のようなことを言ってるんです。
人間にとって一番重要なものは、その人の「愛する能力」である。その愛は「自然にやってくる」ものではなくて、愛とは何かを理解し、それを実行するように努力しなければならない。
そして愛を人により多く与えるために、自分をより多く愛さねばならない。その“自己愛”の技術を身につけるには、生活のあらゆる面で自己修養が必要である。
いかがでしょうか。「心とからだ」を養うことの意味を教えられ、何か心ひらかれる思いがするのですが。(H)
スイマグ考
“排便のすすめ”
よく食事の回数だけ排便があることがいい。昼間食べたものが次の日の朝出ることが望ましい。そう教えられます。ところが仕事をもっていれば仲々トイレに行きたい時に行けるとは限りません。だいたいのところ、すこし我慢をしてしまいます。
長い間のその我慢の積み重ねが、うんちの積み重ねになるんですね。
子供にしても幼稚園や学校に行っていれば、我慢してしまったり、遊びに夢中で忘れてしまったりするかもしれません。まだ遊んで忘れるのならいいですが、勉強に追われて、その間もおしいというかもしれません。
食事の量と質に問題があるに違いはありません。トイレに行きたい時に行けないこともあるでしょう。そして子供も大人もひっくるめてのストレス社会です。
便秘をしても不思議ではありません。排便のこと一つをとってみても仲々思うようにいきません。しかし、やはり排便があることが本当に大切なんですよと理解してもらいたいし、理解させてほしいと思います。
スイマグは、そんな時の助け舟です。しかしスイマグが治すのではなくて、同時に生活を見直してみることが大切だと考えて戴きたいと思います。ただし、生活が排便を中心に回っているように考えては味気ないですし、少々行き過ぎだと思います。(H)
第13号 1985年7月1日