排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(六)
“カタルシス ―それは美しくなること―”
カタルシスというのは、吐瀉(としゃ)ですね。余計なもの、汚れたものが体内にある、それを吐き出す。身体にくっついているよごれみたいなものから浄められていくということですが、人間は日常的な生活の中で、雑多な知識をくっつけたり、ある思想にとりつかれたりしている。それが、自分をほんとうに支える力にならないで、垢みたいにくっついている場合は、それは汚れになる。その汚れが洗い流されてゆく。
非本質的なものが捨てられて、本質的なものだけがのこる。そして美しくなる―それがカタルシスだと言ってきたのです。
(林竹二著「問いつづけて―教育とは何だろうか」より)
文章の読み始めでは、これはからだのことかなと思ったりします。カタルシスは、下剤をかけるという意味があるのですが、瀉下(しゃげ)したときの爽快感に似てわかりやすいのです。
また断食の生理に似てわかりやすいのです。「フォイトの実験した断食24日目における組織および器官の減量」(西勝造著作集・栄養篇より)によると、生命にとって絶対的に必要な器官はたとえば脳や肺や、心臓は、その減量が少なく、脂質や筋肉等が高度に減量しているというのです。
そして生理現象として、老廃物や毒素が組織や病巣から吸引され、解毒・排泄され、病毒に染まった細胞も、崩壊しあるいは新生して生体は若返るというのです。
ただしこの文章の内容は、からだのことに似ていて同じことのように見えますが、より人間としての、より大切であって根元的な追求の必要を説いているものであると思います。
林先生はソクラテスの研究家として知られた方ですが、カタルシスのための手段として吟味という、まがいものを捨てさせる作業が必要である。まがいものを捨てさせていくと、だんだん深い所にあるその人の真実が浮かび上ってくるとも語っておられます。その人の真実が美しいのであり、その人をほんとうに支える力にもなるということなのでしょう。(H)
第17号 1986年3月1日