往時雑感
“水 再考”(二)
《資源としての水》
──昔人の蛇退治
人間の使う水は、降水によってもたらされる。雨水が人間の生命を育む水となるか、文明社会を破壊する水塊となるかは、我々の自然とのつきあい方によって左右される。人間の歴史は、生命を育む水をどう治めるかにあったといえる。
記紀の八岐大蛇の神話では、スサノヲの命が出雲の国に降りた時、肥の河上で老翁老女が少女を中にして泣いていた。頭が八つ、尾が八つあり、目は丹波ホウズキのように赤い大蛇に娘を捧げなくてはならないという。大蛇の身体には、コケや桧、杉などが生え、長さは谷八つ、峰八つをわたっていた。退治すると腹の中から剣が現れた。というのである。のちの草薙の剣である。
「この大蛇こそは、斐伊川の洪水のことであると、地元の出雲の人は代々教えられてきた。…斐伊川は、昔製鉄で栄え、そのため山々が荒廃した有名な暴れ川である。」(1984年6月30日 朝日新聞 「森と人間」富山和子)
暴れ川を治めたという民話も多い。住みついた竜が大暴れし、人々を苦しめた。困った村人は山の主に助けを求めると、一頭の白馬が現れ、駒ケ岳をかけた。村の若者に力を授け、竜を退治する。竜の暴れた跡が天竜川となり、イナ谷は豊かな米どころとなった、というものだ。
── 森はたらちねの母
治水の根本は治山にあるという事は明らかだ。
「山は木あるときは神気さかんなり、木なき時は、神気おとろえて、雲雨を起こすべき力少なし。」かのみならず木草しげき山は、土砂を川中に落とさず。大雨降れども木草に水を含みて、十日も二十日も自然に川にでる故に、かたがたもって洪水の憂いなし。」(江戸時代の林業思想)
「山火事跡の緑は五年後にほぼ回復したが、雨水の循環の仕方は火災直後に比べ変化なく、自然のダムとしての森林に戻るには、少なくとも三〇年はかかる。」(1985年3月30日 朝日新聞 みんなの科学)
「土と緑と水は三位一体となって生態系の中心にある。いい森は、たくさんの雨水を蓄えてくれる。裸地の貯留水はわずか5%だが、森林こそ、私たちのたらちねの母である。」(1985年1月19日 朝日新聞 天声人語)
林業が軽んぜられ、山村が亡びると、森林は荒れはじめる。開発によって、山林の破壊に拍車がかかる。これが洪水や土石流などの原因となり、渇水期の水不足となる。
自然の森羅万象が滞りなく繰り返されてこそ、人間はこの地上に生存することができる。もし片時でもこの真理を忘れることがあるとすれば、それはどのような結果を招くであろうか。(S)
編集後記
▶︎春の雨は百穀を潤すといわれる。野菜畑は、賑やかになってきた。ジャガイモ、玉ねぎ、エンドウなどに加え、トマト、ナス、キュウリなどの夏野菜も加わった。
▶︎かつての田園風景であれば、今頃は、菜の花が一面に咲き乱れていた。春風にさそわれて青い麦の穂波がみられたことであろう。
▶︎日本人の食卓はにぎやかになってきた。だが、その反面、食糧を担うべき田園はさびしくなってきた。
▶︎四月二〇日は穀雨であった。暦どおりの雨が大地を潤したが、暦に思いをかける生活が少なくなってきた。(S)
第12号 1985年5月1日