往時雑感
“保健婦さんの仕事”
Mさんは中学校の保健室で子供達の健康相談相手をされている保健婦さん。保健室が教室であるかのように、子供達もMさんと親しい。
Kさんは大都市で老人の健康相談をはじめ市民に接して「地域で医療を考えよう」と活躍されている保健婦さん。
Nさんは常に精力的に指導的活動をされている保健婦さん。そのほとばしるような気力を拝見していると地域の医療に“あした”を夢見ることができる。
Tさんは、現実は厳しいながらも、新たに志に燃えて活動されている保健婦さん。保健婦さんというお仕事を純粋にとらえ直そうとされている。
この皆さんに共通するものは、健康相談に金魚運動とか毛管運動の西式健康法を応用されていることです。保健婦さんといっても、役所行政の現場におられる方、そしてご自分で開業されている方と、いろいろの立場でお仕事をされています。その職場は違いこそすれ市民の健康相談、それも予防活動に重点を置いておられることにおいて共通であると思います。
地域の人達の健康を増進する上で大変重要な仕事であり、女性の仕事としても“自立”できる職業のように思えます。又、女性ならではの職業のように思えます。
しかし、現実は仲々厳しいようです。保健婦さんの立場は、現代の巨大な医療機構の中にあって、孤立的になりがちであり、ともすると病気治療の下請け化、はては保健婦無用論まで聞こえてきます。
そんな中で、先にあげた方々のように自らの反省を機会に、操体法の技術を身につけたり、西式健康法を応用されたりして、保健婦としての独自性を養うことを心がけられると同時に、もう一度“地域の中へ”という努力をされているのです。
静岡では老人医療をどうしていこうかと、その心と対策を熱心に考えておられる保健婦さん達がいることを知っております。それも現状をなんとか変えていこうという現場からの動きであると思います。
現実は実に厳しく“制度”という重しの中で身動きできないかのように見えます。しかし、制度をどうのこうのというより、保健婦さんの仕事を、その意味を問い直そうとしている人達がおられること自体がまずもって一番希望のもてることではないかと思います。(H)
“彼女に青空を”
その人は、ガンの治療で手術を受けられ、現在も総合病院に通われています。その間手術もしました。そして最近も手術をして、今は自宅療養をされています。
彼女は何度も苦しいところを乗り越えてきました。しかし今はかなり、精神的にこたえているようです。
彼女は元気だった時は、体の弱い人、精神的に苦労している人達の手足となって励ましてきた人です。いつも明るい人で、それは魅力的な女性です。その元気な時のことを思い出すと切なくなります。
つい最近、彼女をお見舞いしてきました。I医師、K先生、Kさんに同行させていただきました。皆、彼女の友人なのです。I医師は彼女の主治医ではありません。あえていえば“心の主治医”でしょうか。
彼女は心身共に本当に苦しんでいます。そんな時、彼女はI医師の励ましの言葉で元気づけられてきたようです。
I医師も励ましの言葉といっても本当に相手の気持ちになって話そうとしているので、スラスラ出てくるわけではありません。彼女もその中から自分を励ます言葉を探し出そうとしています。
「私は今、落ち込んでいるんだよ。」
「いつまで生きられるんだろう。」
「子供のことを考えると苦しいね。」
「あゝもしてやりたい、こうもしてやりたいと思う。」
「主人に迷惑をかけてしまう。」
私もそばで聞いていると涙が出そうになります。I医師はそんな彼女に、
「病気と仲良く生きることだよ。」
「いつまで生きようなどと考えないで、一日一日を生きよう。」
「今を生きるんだよ。」 と声をかけます。そして
「かならずいつか青空を見ることができるよ。」
彼女は、「いつになったら見ることができるの。」
「本当にできるのかなぁ…。」と苦しそう。しかし彼女はI医師のその「いつかかならず。」という言葉を励みとして今日を生きようとしているように思える。
I医師の彼女への「思いやり」の深さに、頭が下がると同時に、「今日を生きる」ことの意味を考えさせられました。
フレーフレー彼女!!と言いたい。彼女から「青空を見たよ。」と聞ける日を待ちたいと思います。(H)
── 感銘を受けた言葉
宇宙の中に法則があるのは、自然の現象である。しかし、宇宙の中に法則があるということを知るということは、新たなる宇宙的創造であり、われわれは今、そのことを「文化」と名づけているのである。『中井正一全集』より
編集後記
▶︎三保製薬で出る廃品(マグネシウム残渣)は、精簿者(障害者)作業所・かなの家の人達に持って行ってもらいます。
▶︎六月九日には、かなの家の人達は田植えをしたそうです。一年分(少し足りない)の米を収穫するための田植えなのです。
▶︎静岡市を流れる安倍川の近く、市街をちょっと離れたところで寮生の人達と元施設の職員・家族が生活しています。
▶︎「かなの家が、施設と違うところは、障害者自身、一人一人の生き方を求めようとしていることです。したがって障害者が自分のできる力で働くことが中心となります…。」と、指導員氏。
▶︎いろいろ本当に教えられることが多く、何かの役に立てばと廃品をわずかですが出させて戴いています。(H)
第13号 1985年7月1日