往時雑感
清水の景色(三)
1962年(昭和37年)5月に「わが郷土清水」(鈴木繁三著)が発行されています。20万(当時)市民に郷土読本として購読をすすめています。
前年の’61年は周辺5ヶ町村と清水市が合併し、’60年は清水港開港60年、市制が施行されて35年になったと記しています。’60年はまさにモータリゼーションの時代へ突入していった年であり、’80年まで続く経済の高度成長の出発点になったと思います。
さて著書本文―第4部・郷土の将来をおもう―に次のように書かれていて、高度成長が何だったのかを知る思いがするのです。
わが郷土清水は、いまや希望にもえて新しい都市づくりをしている。まず工業の設計から述べよう。電力は三保の火力発電所とあわせて興津ふ頭に袖師火力発電所をたてれば、まず心配はない。工業用水は、安倍川から引いているが、なお日軽蒲原発電所の放水流を清水まで導くことが考えられる。
ただし何より困ることは工場敷地に乏しいことだ。しかしないとはいわれぬ。港内に海水浴場がある。東京湾・横浜港・大阪港・神戸港・名古屋港などの大貿易港は、港内に海水浴場をもたない。それなのに本港では海水浴場を二つも持ち、ぜいたくすぎる。
海水浴場ほど土地利用の不経済なものはない。七月、八月の二ヶ月しか使えない。
ところで、いよいよ待望の興津ふ頭工事が実施のはこびとなり、それにともなって袖師海岸一帯を埋め立て、ここに港を整え、工場を誘致することになった。これは、うれしいニュースであるが、むしろ、おそすぎるきらいがある。
・・・ こんなふうに考えていたのは、この“作文”の作者だけではなかったのではないでしょうか。高度成長時代に日本全国の海岸線がそうであったように、清水の海岸線もすっかり変わってしまいました。
お金にならない自然の海は、お金をかけてコンクリートのすがたになりました。三保にも、袖師・興津にも申し訳なさそうにコンクリートのプールが作られました。
当時、夏の二ヶ月、臨時停車をした国鉄の袖師駅、今はホームだけが、ぺんぺん草をはやしているのですが、国鉄利用客増員対策として復活させようという声があるようです。しかし海がない袖師駅は似合わないのです。
興津沖合に人工島を作り、工場を誘致しようという計画がもち上がりました。私達の心に必要なもの、それは自然の海なのです。(H)
スイマグ考
スイマグは水酸化マグネシウム濃度約10%の懸濁剤です。錠剤に比べますと決して飲み易くはありません。飲み易くするためにも、十分水で薄めて、なおかつ口直しのための水が必要になります。
しかし、この水が大変効果的でありますし、水が大切であってスイマグはその水を手助けするものとして、お使い戴くことがよろしいと考えますため、今日の剤形で製造を続けさせて戴いております。
なおスイマグは重量もありますし、面積をとります。今日の医薬品の剤形から見ますと少々時代遅れの感なしと言えません。その点でご不満かとは思いますが結果として生水の大切さを知っていただけるのではないかと思います。
スイマグはメーカーサイドで、すでに価格を表示させて戴いております。この点もあまりはやらないことかと思いますが、全国どちらでも同一価格でお求め戴ければという考えからでございます。
一本の価格は比較的安価であると思いますが、まとまりますとやはり皆様のご負担が大きくなります。少しでも皆様のご負担を少なくしていただければと考えております。
スイマグの保障期間は3年でございます。変化の少ない安定した医薬品ですので、常備して戴いても便利かと思います。ただし凍結には十分ご注意戴きたいと思いますし、また直射日光のあたらない通気のよろしい所で常温保管していただきたいと思います。
スイマグについて、ご不明な点など何なりとお問い合わせ下さいますようお願い申し上げます。(H)
編集後記
▼清水の人口は現在24万人ちょっとです。半世紀たって4万人増えたんですね。それも一時に比べると減っているようです。構造不況業種がそろっていて、労働者の県外への移動が原因の一つになっているようです。
▼あまり景気のよくない話ばかりのように思われるかもしれません。それに世界でも初めて、起きる前に名前がついた東海大地震も心配です。しかし私はここに愛着を感じていまして、離れがたく思っています。友と語らうという楽しみももっています。
▼皆さんも現在お住まいの地で仕事をされ、又色々と考えるところもあるかと思います。どうぞ健康に気をつけて、御活躍いただきたいと思います。
▼本当に気持ちよく、すごし易い季節になりました。青葉がまぶしいほどです。(H)
第18号 1986年5月1日