往時雑感
“ニュースをおう”
《傍若無人の私設応援団 ─ 強者礼賛、弱者に罵声》
「近ごろの私設応援団、みんな強いものへの追随、スターへの無条件な礼賛ばかり。」
「強いものにくっついてりゃ、不安はないし、何をしたっていい。傍若無人もまかり通る。球場の、あの応援団、いっしょにやってる観衆も含めてね。…強者一辺倒よ。プレーの善し悪しの客観的評価なんてどうだっていい。強いものを礼賛してりゃ、金になります。」
「階級、地位がものいうサラリーマン化社会ですから、なまなか反骨だの、個性だのを持ってたら損しちゃう。みんな強きにつくが得、と無意識にでも悟ってますよ。しかし、鬱屈したものは残るんですね。」
「スター選手への、あの大波のようなコールには、もやもやを吹きとばしてくれる英雄、本物でなくても何でもいい、ヒーロー待望があるのでしょうね。リーダーの指示通り、何千人が夢中になって、“レッツゴー、レッツゴー”と叫んでる。…ヤングが、何の疑問もなしに、一つの目的に拍手素そろえてる。自我も、チャレンジ精神もあそこでは無価値です。」
(1984年5月16日 朝日新聞夕刊「わたしの言い分 ─ 佐々木久子」)
「最近発表された学生意識調査によると、尊敬する人物として、元首相・田中角栄を挙げたものが、圧倒的に多いという結果が出ている。」
「個性、力強さへの魅力が理由の第一らしいが、批判精神の衰退の表れという解釈の一方で、田中を責める大人たちの偽善、みせかけの政治倫理に対する、冷めたニヒルな目という見方もあった。」
「中間階層に広がっている、生活危機感、先行き不安からの角栄的実力への期待感が、学生に反映しているとの意見もあった。」
「いずれにしても、活力や個性のない学生の“力信仰”が、どういう方向に引っ張られるかわからない危険性を持っていることは否めない。」
(1984年4月4日 朝日新聞夕刊 “若者たちの「角栄」崇拝”)
すぐる一月の新聞には、イタリアで、「ムッソリーニなぜか異常ブーム ─ 社会不安イライラ反映?」と報道されていました。
国の内外を問わず、目に見えない不安感が次第に、若者をとらえつつある様です。飢餓感や欠乏感とは異なる、そのものの実体をさぐること、それは大切な作業です。(S)
編集後記
▶ 三保通信の創刊号はいかがでしたか。スイマグの製造に携わる者として、皆様との心と心を結びつける梯(かけはし)となることを、祈っております。
▶ 人と人とが結ばれ、心と心が通い合うもの、それが何であるのか、この時代には、それが見失われていると言われています。人間として生きていくのに、当然とも思える前提が判らなくなる時代とは、何であるか、深く考えさせられます。
▶ 健康の問題を考える場合も同様です。すぐれて個人的課題である健康問題に、「社会の健康問題」を、どこまで視野に組み入れられるか、今後の課題です。(S)