往時雑感
寄稿文
“「知恵遅れ」と言われる仲間達のこと”
あなたの周囲に「知恵遅れ」と呼ばれる障害者がいるでしょうか。姿を見かけられるとしてもそう多くはないでしょう。学校でも会社でも街の中でも彼等と出会うことはあまりないと思います。もともと人数が多いわけではないのですが、でも養護学校とか福祉施設には子供から大人まで多勢の障害者が集まっています。何故少数民族のように一ヶ所にまとまって生活しているのでしょうか。
確かに彼等は精神薄弱と名づけられるだけあって計算が苦手、字も読み書きできない。自己表現や主張が苦手等々、とにかく頭を使うことが大へん苦手のようです。ですから社会の多数派が取決めている常識とか規範に乗っかって社会の中で生活してゆくことがとても難しいと言う事があります。そんな彼等が生活し易い様に似た者同士が集まった学校や施設が必要なのだという人達もいます。
今の日本の社会では、能力に価値がおかれ、学力、体力、精神力などが優れた人が目指すべき人間とされ競争が激しい為に、障害者はいつもはじき出されてしまうのが現実です。
そんな社会で苦労するより同じ様な仲間と、それなりの生活をすればいいという考えもあると思います。しかしその生活が社会からあまりに掛け離れて隔離された状態になっては問題があると思います。どこで生活するかを彼等が選択できるのなら、まだ良いと思うのですが、現実は本人の意志や望みに関係なく周りの者が決めてしまうことが多いのです。
彼等も障害は背負っていますが、人間ですから社会の中で家族と共に生きてゆきたいという望みはあります。
買物をしたり音楽を聴いたり旅行をしたり楽しみを味わいたいと思っています。その為に働いてお金を稼ぎたいという望みもあります。やはり社会の一員として生活したいという願いがあるのです。ところが社会生活の流れに乗ることが苦手な彼等ですから誰かが手を貸してあげなければ、生活してゆけません。
彼等の外見は、健常者と、ほとんど変わりませんから、なんとか訓練したり教えてあげれば、時間はかかっても、私達と同じ事ができるようになるのではないかと考える人もあると思いますが、それは違うと思います。足の悪い人が車椅子を使い、目の見えない人が盲導犬に導かれるように、知恵遅れの彼等は健常者が生活全般にわたって手助けしてあげる必要があります。これはとても大変なことで、親兄弟もお手上げになって施設に頼むという事がほとんどの場合です。
「かなの家」はそんな彼等ができるだけ自分の持っている力を発揮して、社会の中で生活できる状況を作る為にできました。障害者と健常者が共に働き生活してゆく場として。
しかし、彼らが働いて経済的に自立できる程世の中は甘くありませんから多くの人達に支えてもらわなければなりません。小さな力でも多くの人が支えてくだされば「かなの家」の目的が維持してゆけるでしょうし、より広がってゆけるのではないかと願っています。
試験室だより
従来使用してまいりました容器と化粧箱を昨年一新いたしましたが、それにつきまして、皆様から内容まで変わったのではないかというお問い合わせがございましたので、お答えします。
現在の製品は、昭和36年に薬事法の改正が行われ、その時に厚生省から承認をうけたものです。この承認内容に基づき、現在も同じ原料同じ製法で製造しております。
そして、原料、製品につきましては、ロット毎に規格試験を行い、合格したものについてのみ出荷が許可されております。従って内容に関しましては、以前と何ら、変わったところはございません。
ただ、製品そのものにつきましては、薬事法の規定により変更はしておりませんが、表示に関しまして昭和55年より、厚生省から胃腸薬承認基準、瀉下薬承認基準(水酸化マグネシウムは1日○g~△g)が出され、それに従って表示しなければならなくなりました、又、現在も、医薬品再評価というものがあり今後、なお表示を変更する予定もございます。
再評価というものは、薬の有効性安全性の面から、専門家がいろいろな臨床データ等を基にして、長い年月をかけて検討してきたもので、変更の必要なものにはその変更を指示しているものです。
ですから、スイマグに限らず、医薬品に関しましては、最近のどの表示にも、同じような注意事項、用法用量等の変更がなされております。
このように医薬品は、かなり厳しく厚生省から管理されておりまして、10w/v%から9.99 w/v%に変更しましたのも、昭和36年には四捨五入していた数字を、小数第二位まで正確に表示するよう指示があったためです。
ですから濃度に関しましても以前に増して正確に測定を行い、承認どおりの製品を製造しておりますので皆様にはご安心いただけると思います。
ただ、成分(主成分は水酸化マグネシウム)以外の物質を全く入れておりませんので、相変わらず粘度にばらつきがありますが、濃度・効果には一切関係がありません。再度ご報告させていただきます。(M)
編集後記
▼寄稿文は静岡市にある「かなの家」の西田さんにお願いして投稿して戴きました。数年前のことですが、西田さんよりお話をうかがい、私の知らなかった世界を教えて戴きました。これからも三保通信への投稿をお願いしたいと思っております。(H)
第17号 1986年3月1日